2012.01.09

データフォーマット一本化ビジネス(あるいは産業政策)は?

いつも思うことだけれど、設計データと製造データを別進行させるのはどうにかならないか。
CADがあって、CAMがあるなんてめんどくさい。
作る際には外注に頼むからいいんだ、という鈍感な人も居るだろう。
データコンバータでなんとかせい、という輩も居るだろう。
しかし、この問題に正面から向き合わないと、後々のデータ管理すらも二重管理となってしまう。
未来永劫、同一物に関するデータが二つ以上つきまとうのだ。全工程からすると無駄に過ぎる。

しかもこの二重データは全ての分野に関わっている。PCBもシミュレータも建築も板金も、全部そう。
もしもデータ構造が一本化すれば、全世界的に生産性があがると思うのは僕だけだろうか。

※そういえば太陽電池屋はこの問題に疎い。第一、メーカーからは紙提供が多い。(真っ黒けで読めやしない。寸法の入った仕様書をファックスで送る馬鹿者すら居る)その太陽電池を設計折込しようとすると、現物を買って測量してトレースしなければならない。この経費はいつも工事費よりも重い。運よくDXFを貰えてもCAD依存性が高くてうまくファイルコンバートできないことが多い。(彼らはユーザーがどのようなデータ形式を必要としているのかまったく知らないか、ユーザーニーズがまったくみえないほどに愚かなのだ!!)
一方の分電盤メーカーや建材メーカーは凄い。彼らの提供するデータはどのようなフォーマットにもコンバートできるデータ形式を備えている。先日DCDCコンバータのDXFをDLして驚いた。そのDXFのレベルは分電盤メーカー並だ。太陽電池メーカーも見習って欲しい。まぁ太陽電池メーカーは製品を売るつもりが全然無いからユーザーにコストを負担させようとしているのかもしれないけどね。いつもながらこの業界の閉鎖性には開いた口がふさがらない。
・・・われながら、もう10年も同じこと言ってるなぁ。

1月 9, 2012 開発・具体的な取り組み | | コメント (0) | トラックバック (0)

P-872(ホーザンピンセット)

P-872はチップ部品の操作が簡単。一度使うとやめられない。
http://www.hozan.co.jp/catalog/Tweezers/P872.htm
何度このピンセットにすくわれたことか。

とにかくホーザンは種類が多いので、メモをしておかないと壊したときに二度と同じものを見つけられない。忘れっぽいので、メモカテゴリを追加した次第。

1月 9, 2012 メモ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.31

スマイルカーブとPV工事デフレスパイラル

太陽光は、工事が簡単すぎる。今後、工事屋の仕事は経済学スマイルカーブの底辺に従ってゆくと思う。つまり、幾らでも安くなる。原因はただひとつ。”簡単だから”、だ。

モノづくりには,次の二つがある。
1.技術面
2.技能面
工事というのは技能面。

技能には大きく2つのレベルがある。橋梁溶接、チップ試作といった熟練に支えられることとか彫刻や漆芸といった伝統工芸的技能によるもの。もうひとつが、作業だけのもの。

実はPV工事は作業に過ぎない。だからPVの技能は他と比べようも無い。PVなど簡単すぎて話しにならないのだ。建設業の下っ端・・・バイト作業並に易しいのだから。なにせ、その内容は組み立て作業100%。ちょっと気を利かせてみたつもりでも、その内容はちっとも技術的検証に基づいていない。つまり、大抵のPV工事屋の仕事は「勘ジニアリング」によっているということ。勘ジニアリングは計算すると間違いが判明することが多い。計算でおかしいものが実供用に耐えられるはずもない。

古くからやっている工事業者さんたちは価格下落に対しての愚痴が多い。けれども彼らは、重要なことを何もやっていないことに気づくべきである。やれ屋根工事幾らだといっても、板金工事業や瓦工事業のような構造計算書をつくるわけじゃない。やれ電気工事幾らだといっても、必要な電気計算すらしていない。そこにあるのは,マニュアル仕事。良くてもちょっとした気回しが加わるだけ。

これじゃ、やるだけ買い叩かれる。だって、簡単だもん。建物の常識、電気の常識があれば、作業だけは出来てしまう。それだけの話。

これから工事屋が強くなるためには、技術面を何とかしないとならないと思う。いつも僕が言う繰り返しになるけれども、強度計算やら電気計算、法適合不適合の検定くらい出来ないと、その人が参加している意味が無い。技術で競わなければ、あなたではなく他の誰かがそれをやることが出来るのだ。

最近、船井総研みたいな、家電広告みたいな平準マーケティングが行われているけど、あれって事業者の能力の無さを露呈するだけだし、価格下落を推進するだけじゃないだろうか。自分にしか出来ない技術的なことを謳わないと結局は価格競争の中で生き延びるしか無いと思う。結果、今、広告は過剰なくせに、お客が余っている。

広告を出す業者は応用が利かないから仕方なく簡単なことに手を出す。彼らは、簡単なことは競争が激しいから、広告で勝負しようとする。そうして広告費の分、無駄に時間と人件費を食いつぶしてゆく。長い目で見て、お客にとって良いことは何にも無い。

逆もある。
工事業者がより注意深い設計作業の結果に基づいて精緻な仕様書まで書いている癖に、発注者に工事業者=作業者と誤認される場合だ。これは救われない。

しかしなおも、いつも救われないパターンは、「自分は出来る、自分は優れている」と思っているヤツに限って設計書を書くことすら出来ないこと。自信があるだけじゃダメなんだなぁ。必要なのは実力。広告といった口先だけで食えればいいけど。いつまでもそうは行くまい。

最近、欧米中のメーカーが参入し始めたのは、日本市場におけるユーザーからの事業者評価がとても甘っちょろいと気づいたからじゃないだろうか。FIT効果によるものだけではないと思う。

12月 31, 2011 人間的な、あまりにも人間的な | | コメント (0) | トラックバック (0)

ミソもクソも一緒

僕にとって一番信用ならないのが、PVに関する数字であり、その解釈である。
この業界はパーツとコンポーネントとシステムをごちゃ混ぜにしてはいないか。
学会や行政が特にひどい。次に事業者。
統計値を見ると、上の全てがごちゃまぜ。これが原因究明を不可能にし、対策を困難ならしめている。

ビルディングの傾きは材料のせいか?建築設計のせいか?組み立てのせいか?
料理が不味いのは、材料のせいか?調理のせいか?

NEDOやAISTやNEFのPV統計を見ると、全部ごちゃまぜ。
これまでのアンケートは全部意味が無い。
設問をきちんとし、次に設問を公開した上でデータを示さないと単なるバイアスにしかならない。
この業界、そういうのが非常に甘い。

だから、結果として以下のようなことが起こっている。
1.製造者の設計不良がシステム設計者のせいになる。
2.システム設計者の設計不良が製造者の設計不良のせいになる。
3.売り子さん達は責任を問われない。
4.ユーザーの誤使用は問われない。
5.長期保証契約自体意味ナシ。

現代の分業化ビジネスでは、何もかもがみーんな他人事なのだ。
当事者の関与を薄める仕組みが出来上がっている。
状況は以下。
1.過剰なまでの消費者保護
2.過剰なまでの保身
3.無責任体制

結果は以下。
1.問題の核心がわからない。
2.誰もが責任転嫁が上手くなる。
3.被害者はちゅうぶらりん。(誰に尋ねてよいのか)

トラブル原因を究明する手段を持たないから、解決が遠のくわけだ。
誰もが加害者であり被害者。
僕はPV業界だけを批判したいんじゃない。
現代社会というのはかくも責任が薄いものなのか、と思う次第。
誰も責任を感じないから仕事は中途半端。
それは、だれそれに聞いて、それは、だれそれの役割だ。
最早ユーザーもこうしたたらいまわしに慣れっこだ。
分業化社会の病弊である。

こうした状況がもたらす重大は、モノゴトの真実が知られなくなることであり、解決が遠のくことだと思う。
こうやって誰もが鈍感力が増してゆくと、仕事の”やりがい”とやらはどこにいっちゃうだろう。
自縄自縛という語がふさわしい。

12月 31, 2011 太陽光発電の技術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.30

チャンネルの切り替え

久しぶりに電子回路を書いていたらエンジンが掛かるのに時間がかかってしまった。構造モードに切り替えたり、法律モードやら英語モードやら論文精読モードやらとPV屋はチャンネルを切り替えるのに忙しい。こうやって広く浅くやっているうちに歳を取っちゃうんだなぁ。

今年ももうお仕舞い。
人に教えることに時間を使っているうちに、自分はあまり勉強が出来なかった。
それでも、後輩を作るのが夢だから来年も頑張るべし。
でも、労力に見合わない仕事だし、PVの仕事人って増えるのかしらん。

12月 30, 2011 開発・具体的な取り組み | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.12.23

コントリビュータがいなくなる

SOLON倒産、BP撤退。
ショックだった。
この業界は次々とコントリビュータを失う。
両社の業界貢献の歴史を見るが良い。

一方で、法遵守もしない、何の研究投資もしないクズ野郎どもはのうのうと生き延びる。
この状況にマーケットメカニズムなどという言葉を持ち出す馬鹿者は、この地球から出てゆくが良い。
やり場の無い怒りに震えている。

12月 23, 2011 太陽光発電のニュース | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.10.08

太陽光発電システム設計に求められる基礎的能力

何を勉強すればPVシステムの設計が少しはわかるようになるのか。
いつも同じように答えているのだけど、もういちどまとめなおし。
1.電子回路(ダイオード、トランジスタ回路がわかれば十分すぎるほど)
2.電気回路(オーム法則、KVL,KCL、制御盤や工事の設計技術が主なスキル)
3.外力計算(風工学、設備の地震計算体系、雪荷重)
4.強度計算(通り芯、断面設計含む)
5.法令、規格(IEC,JIS、電技、建基、内規など)

以前は構造周りを強度計算との言葉でまとめていたのだけれど、今回は外力を加えてみた。外力はかなりの勉強量が必要。お仕事ボリューム的にも、外力計算と強度計算が一番大変。他は比較的簡単だけど、法規とのからみでやはり結構な勉強が必要。分野ばかり広いので絶望しそうになるけど、なんとかなる。問題はレファレンス代が高すぎること、探し物に時間がかかること(あるルール制定の背景を調査するには1年以上かかることも)

将来は、太陽光発電システムのためだけのレファレンスが出来るとこれからの若い人が楽チンだなぁと思う。
広辞苑一冊くらいのボリュームには収まるのでは?問題は、これら資料の著作権関係。つまり著作権に配慮するとお値段が数百万円という恐ろしい本になる。規格は引用がやりにくい。良いまとめなおしが求められる。

しかし実はこれらは安全を確保するための最低限の知識と能力である。性能向上にはさらなる技術の習得が必要。太陽光発電に限らず実用化技術は全般に、下流になればなるほど必要な能力の分野が広くなる。うーんしんどい。

そういえば、CAD図を設計だと勘違いしている人が少なくない。実はあれは伝達手段に過ぎない。つまり設計が済んだあとのものを、絵にしているだけ。仕様書もそう。仕様書というのは設計が済んだものを言葉にしているだけ。勘違いしてはいけない。

10月 8, 2011 太陽光発電の技術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2011.04.25

老眼

老眼がきついです。
40代になると急に。。。
メガネを作り直さないと成らないですね。

4月 25, 2011 私の話 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2011.03.22

放射線のキャロットダイヤグラム未解説の怪

どうして今回の放射線についてキャロットダイヤグラムの説明が無いんだろう。皆、それを知りたいのではないだろうか?
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少なくともウチがとっている新聞には何も書いていない。これでは我々工業に関わる者しか理解出来ないのではないか。

5/11追記
コメントを期待していたのですが、Noshingなので追記。

リスク評価やハザード評価の物差しには、Hormesis仮説と閾値仮説とLNT仮説と3つがある。これは原子力に限らず化学物質やら労働安全やら社会の安全保障でも同様。

日本は原発村プロパガンダ上はLNT。だから、原発推進側資料には、ALARP領域が無いわけ。だが、政府が主導する危機対応行動は閾値仮説に従った。これはALARP式といってよい。日本の放射線ネガティブリスク認識が混乱している原因はここにある。

全ての報道を見るのは我が家の経済上無理なので、あの事故以来せっせと外食をし、新聞各紙を読んだ。さらに先日は大量に雑誌を買ってみた。凄い量・・・2万円弱。マスコミはちっともこのことを言っていない。ひどい。誰一人、説明を試みていない。原発村から金を掴まされて黙っているのか。せめて海外誌と両方読もう!!

3月 22, 2011 | | コメント (8) | トラックバック (0)

2011.03.21

原子力アレルギーを思う

原子力アレルギーとは何だろうかと考えることがある。これを原爆の文脈でのみ捉えるのは性急に過ぎる。

<原子力太陽光発電>
原発は核分裂エネルギーで動く。一方、太陽光発電は核融合エネルギーで動く。太陽電池は、時空間的な距離と大気のフィルタを通じて有害物が弱められた状態で地上にやってくる太陽の核融合エネルギーを利用している。だから太陽光発電はそもそも、巨大フィルタを通じただけの巨大な核システム(原子力発電など比べものにならないくらい大きな核システム)なのだと言うことができる。

<フィルタがもたらす鈍感の奇怪>
つまり、原子力発電も太陽光発電もどっちも原子力で動く。
しかしどういうわけか原子力アレルギーの人は太陽光発電を持ち上げることが多い。
この奇妙さは、我々の社会の様相から理解出来る気がする。
我々の日常感覚が太陽電池に核を感じないのは何故か。それはこれらのフィルタのせいだろう。他物が原子力の有害な面を抑えてくれているから気にならないだけなのだ。人間は、直接的でないものに対して鈍感なのだ。

<立場を変える人々>
この鈍感さは、ビジネスの中にしばしば見受けられる。
どうせこのブログでは太陽光の話ばかりしているのだから太陽光ビジネスを例に挙げてみよう。太陽電池の商取引では製造者から商社、商社から工事屋、工事屋から消費者などとバトン数が多い。何か問題が起こったときにこの多段構造が問題となって浮き彫りになる。商社連中を観ていて興味深いのは、当事者性の無さという言葉に代表できると思う。販売時にはメーカーの立場に立ってセールスを進め、トラブル時には消費者側に立ってメーカーを責める。普段はのれんの陰で商売をする特権を使い、いざ特権がおかしいとなったら人権側。彼らは一体どっちの立場なのかと思う。この誰でもないところに身を置くことが、知らず、彼らの商売リスクを低減している。この様相は工事屋についても同様で、自社直売直営だったらやらないだろうことを、下請け業務の中ではおかしな資材を使った組み立て工事を何の迷いものなく引き受けてしまう。消費者としてはどっちを向いて文句を言えば良いやら分かりやしない。ビジネスの論理というのは人間理性においてかくも破綻している。
どうやら多段な流通構造は人間に普通に備わっている責任感覚を逸らし、鈍感さを倍加させる効果があるらしい。

<東電もまた同じ>
そういえば、福島第一原発事故の初動に際して東電の「(現場から)・・・と聞いています」といった煮え切らない態度も太陽光発電業者のそれと良く似ている。彼らは現場を代表する立場としてモノを尋ねられているのだから、伝聞系で答えるのは筋違い。様々な介在物があると人はこうも自分の生身の感覚に素直になってしまう。※ニーチェの遠近法とはこういうものかもしれない。

<原発反対論者はどこに位置するのか>
私たちがやっている太陽光発電というものは昔から原発との関わりが深い。少なくとも90年代の私の経験では山小屋や官公庁・地方自治体といった特殊な立場にある人々を除くと原発反対派が主な太陽光のお客さんだった。そういう人の家には学問的なものから広瀬隆やら恐怖商法みたいな本までごちゃまぜに積み上がっていたから、彼らの心情をどこまで真面目に受け止めれば良いのか、自分はどう考えれば良いのか悩みつつも、やっと平地にPVがやってきたとばかり仕事を楽しませてもらったものだ。思えば我乍ら勝手な話である。
一方、当時の私が彼らについて怪しんだのは、原発の恩恵を受けていることを彼ら自身があまり意識していないことであった。私は電力需要の増大が原発を必要とさせるのだと思ってきたから、エアコンの効いた部屋で原発反対の議論をする人々を異様と感じた。電気に色がついていないからだろうか。つまり対象からあまりにも遠いと誰もがこうなってしまうらしい。

<構造的に捉えると>
これらの構図を単なるアナロジーと見てはならない。
原子力の安全を考える上では責任のありかをはっきりさせないとならない。しかし太陽光発電についても同じことが問われているのである。社会が複雑化するにつれてバトン数は増えてゆく。最初にバトンを繰り出した者も中間者達もアンカー者も今では一気通貫な現場を持たない。現代社会はもはや、誰も誰かに対して責任を負うことはない。科学技術への漠たる不安の根源は実はこんなところにあるのではないかと思ったりする。

3月 21, 2011 環境・エネルギー | | コメント (5) | トラックバック (0)