« 主なニュース | トップページ | ソーラー大作戦の概算要求と概要 »

2005.09.06

電気新聞/ニュース

リンク: 電気新聞/ニュース.

CO2海底貯留、実証へ‐国交省外郭団体など5ヵ年プロジェクトで共同研究 日本が排出する二酸化炭素(CO2)の5%を海底に貯め込む――。海洋国家ならではの壮大なプロジェクトが、現在、国の主導で進められている。今年度を含めた3カ年で約8千万円を投じて基本システムを設計。その後、2年かけて実海域で実証試験を行う。廃ガス田と地下帯水層を利用した「地中貯留」と「溶解法」に続く第3の貯留方式として、国際合意の形成を目指していく。 CO2海底貯留技術は国土交通省外郭団体の海上技術安全研究所が、産業技術総合研究所とアイ・エイチ・アイマリンユナイテッド(東京都港区、今清水義紀社長)と共同で研究を進めている。

うーん。これはこれで技術としては面白いんだけど、なんとなく不謹慎なプロジェクトに感じる。ニュースからだいぶ経ってしまったけど、なんだか落ち着かないのでその落ち着かなさを考えて見た。
残念ながら、私にはさしたる意見も提言も無く、漫然とした嫌悪感だけがあると云った状態。以下、つらつらと中途半端な考察と放言をしてみることにする。

前提として、人間活動によるCO2発生が地球温暖化を加速していることを真実としよう。そして私達はCO2を大気中に放散しないことが大事だとする。
京都議定書の遵守だ。

人間活動によって発生するCO2をどうにかしようとすると、ここには物理学上の根本問題がたちはだかる。
自然はある方位を持っている。
水は高いところから低いところに流れる。
熱は高温から低温に移動する。
エントロピーの増大だ。
だから外部から手を加えない限り、決して低いところから高いところには流れない。
同様にモノを燃やせばCO2とエネルギーと役立たずになって環境中に放散する熱と、になる。これもまた自然的には不可逆な反応であって、外部からさらなるエネルギーを投入しCO2を発生させない限り、モノに戻らない。
(そして地球外からのエネルギーって、太陽エネルギーくらいなんだよネ。)
この冷酷な物理原則からは、何人たりとも逃れることは出来ない。

ところで、海洋はまだまだCO2の吸収力を持っているとする説が有力だ。
だからCO2をそのまま捨てようということなのだろう。
しかも、深海中を投棄場所に選べば二酸化炭素ハイドレートになるから安心、ということか。メタンハイドレートとその場所を入れ替えればエネルギー採取と投棄が同時に出来て一石二鳥だったりして。

しかしこの前提にあってすら、系としての地球システムが受け入れ得るCO2の総量は変わらない。
エコロジカルフットプリントという視角がある。フットプリントとは「足跡」のこと。
実に世界中が日本人と同じ暮らしをしたら、地球が2個以上必要だという。
私達日本人は今ある暮らしをまかなうために、既に国土を越える範囲の、地球の自然治癒力に頼っている。
換言すれば、すなわち、生態系の輸入に頼っている。
そしてこれは公害の輸出・人口の輸出という構造で捉えることも出来る。

地球システムは地球に住む人々の共有財産に違いない。
そこで、ちょっと仮説。
そもそも、地球環境に関する国際的合意とは、カネのみによる国際間のやり取りに人類存続の限界を感じ、見切りをつけたものではないのか?
京都議定書もあるいは、限られた地球システムの共有という合意をCO2という物質に代表させたのでは無いのか?

わが国がわが国の国益のためだけにCO2を海中投棄すれば、上の枠組みからすると「コモンズの悲劇」ではないのか。共有資源としての放牧地を我先に争い奪う放牧者と何ら変わらないということだ。
コモンズにおいて、共有するものが資源でなく、ゴミ捨て場であればたちまちあふれてしまうだろう。

領海内だからいいだろうという見方も出来ると思う。
でも地球はそれほどまでに広かったか?
海は他国と、そして地球全体とつながってるのではなかったか?
チェルノブイリさえ大騒ぎなのだ。
隣国の酸性雨ですら大騒ぎなのだ。
あれは風に乗ってわが国にやってくるからイカンのだ。
ともっともらしい説明も出来るが、これもまた速度の問題に過ぎないのではないか。

すると現世代は見えない子々孫々に対してどこまで倫理的責任を負うべきなのか。そんな途方も無い時間軸の話になってくる。
そして実は私もこの目安に関しては見当もつかない。
一体何年先のことを考えれば良いのだろう、と。

で、感想本論。
CO2処理の技術的過渡段階としての海中投棄。それなら良いかもしれない。
一方それが常套化した時の悲劇はどのようなものなのか、誰にも想像がつかない。

もちろんノンリスクを言い出したら問題の解決の糸口は掴めまい。
でもCO2問題に本気で取り組むならば、省エネのプロパガンダ徹底、家庭のアメニティー志向への批判、まだまだやることがあると思う。
深海中投棄なんて、こんなにも早く切り札が出てしまうのが恐ろしい。

それにしても、環境を考える基軸をこのままCO2に据えていいのかなぁ?
私はエネルギーこそ、基軸に据えるべきだと思う。
エネルギーさえ困らなければ、CO2も少しはどうにかなる。
エネルギーさえ困らなければ、物質はリサイクルが可能。
エネルギーさえ困らなければ、食料生産にも融通性が出来る。
エネルギーは、世界を定常運転するのに無くてはならないくせに、本質的に限られた量しか採取し得ないからだ。

京都議定書の遵守は約束だから、守りたいと思う。
でも、CO2を悪役視した取り組みは、全体的かつ本質的な問題を見失ってしまう危険がある。CO2基軸でモノを考えた場合に、全体として良い結果を生むのか?何しろこれが信じ切れない。
つまり、私の中には大変な混乱がある。
だから、弊社はチーム-6%に参加しようという気になれない。
よくワカランことには賛成も反対もしようがないのだ。

いつものように歯切れの悪いお話でした。

9月 6, 2005 太陽光発電のニュース |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/20905/5807405

この記事へのトラックバック一覧です: 電気新聞/ニュース:

コメント

今日、自分のブログに載せた文なんですが、ここに行き着くのかなと思います。どうですか?

以前ニュースで出ていて気になっていたのですが、とうとう実験開始みたいです。ほとんど全てを施設内でリサイクルという事ですが、人間二人とヤギ2頭で450平方メートルは絶対必要面積なんでしょうか?これにより必然的に地球上でリサイクル生活できる人間の数が割り出せるということでしょうか?

少子化が叫ばれていますが、地球規模で考えたときに人口が増えすぎていると思うのですが・・・・地球の適正人口はどの位なのでしょうか?あと、なんでヤギ?牛じゃダメ?
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20050907k0000m040092000c.html

投稿: なっちゃん | 2005/09/07 21:48:46

地球の適正人口は。。。

世界だとWWFの計算方法で1980年代にオーバー。地球からもう人がこぼれおちています。

でも皆がもう少しおとなしく暮らせば、もう少し受け入れられるのが地球システムってヤツみたいです。

一方、日本の国土が持つ生態系だけで考えると、日本人が日本で暮らせるのは2000万人くらいが限度となります。(計算しましたぁ)

生活レベルは江戸時代ってヤツですよね。
今の暮らしだと、13000万人はまるで無理。
日本が金持ちだからなんとかなるんですね。

すると今まで見知った人の6人のうち5人が居なくなれば、鎖国しても仲良く暮らせるということでしょうか。

日本人が日本の生態系だけで暮らそうと考えると、もう膝より上は既に地球外にはみ出てるってことです。

こわいなぁ。。。

投稿: よしどみ | 2005/09/08 1:22:30

よしどみさん、こんばんわ。

大変興味深く記事を拝見しました。

現代人が未来に対して、化石燃料や原子力で迷惑を掛けているのは、必要悪だとしても、積極的に迷惑を掛けるCO2の海中投棄は、なんとも後味の悪さが残ります、最終手段としてならわからなくもないの発想ですが。。。

近代の科学技術の発達に伴い、電気という見えない物によって何の躊躇いも罪悪感もなくスイッチひとつで大量のエネルギーを簡単に消費できる時代になった、しかも、消費している本人がそれを大量のエネルギーだということに気づいていない。
その意味では、電気業界に携わる者として、今まで電気はクリーンで安全なエネルギーという間違った情報を与えて来た罪は重大である。
太陽光発電についても、その場所に降り注ぐ熱エネルギーの内の15%程度を電気に変換して、場所を変えて熱として消費しているにすぎない。
(太陽光発電を否定しているのではありません、場所を変えるだけでも素晴らしいと思っています)
そこで考えさせられるのが、パネルの設置場所である、緑化可能な場所に大量のパネルを設置することは、出来るだけさけるべきだと思います。

そろそろ省エネ機器を使っているのを良しとする時代から、生きるための最小限必要とされるエネルギー以上を消費することが悪だという共通の認識が必要な時代になったと思います。

「チーム-6%」については山ほど語りたいことがありますが、また今度にします(笑)。

投稿: aosam | 2005/09/08 19:29:38

aosamさん、まいどです。

>電気業界に携わる者として、今まで電気はクリーンで安全なエネルギーという間違った情報を与えて来た罪は重大である。

我々は今後、需要家に対してもっと内容を整理した話をしなくちゃならないでしょうね。電気は需要家の元ではクリーンだし安全。
だけど、発電や送変電の過程ではいろいろあるのヨ。と。
そしてその「いろいろ」の内訳を明らかにしなければならないでしょう。

>太陽光発電についても~中略~場所を変えて熱として消費しているにすぎない。
本当は製造からのエネルギーペイバックが知りたいところです。
NEDOは2年程度説を唱えているように見えますが、本当はそんなに短くないんじゃないかと私は思います。メーカーの人も、シリコン採掘から全部を追いかけた場合の数字は、どうもわからないようです。(黙っているだけという説も?!)

私も緑化可能な場所にパネルを設置するのは良くない、と思います。
中でも平地にそれを行うのはもったいない話です。

関連して、太陽光と屋上緑化ですが、これは競合関係にあると思います。
今は両方を取り入れたものが多く見られますね。
新エネ省エネパフォーマンスに価値がある今はこれで良いでしょう。
今後はより精細な評価と、方向性の策定(合理的な)が求められるでしょう。
コストペイバックは、タブンですが、太陽光の方が良さそうです。
でもこれから必要なのはコストではなく、環境効果優先となるでしょうか。
するとどっちに軍配が上がるのか、私にはまだ想像が付きません。

>生きるための最小限必要とされるエネルギー以上を消費することが悪だという共通の認識が必要な時代。。。

そうですね~。
強烈な表現をすれば、多消費は他者を踏みつけて生きてゆくことに相当するのですから。そしてその”他者”とは、見知らぬ他人や遠い国の話や何年先か想像も出来ない子孫になりますから、どうしても現実味が無い。
しかし、社会全体でエネルギー消費を減らすということは、産業に当然影響があるわけで、これが日本の景気を失速させてしまい、うっかりすると環境問題をより深く甚大にする危険すらあるわけです。
ジレンマですよね。
エコロジー、エコノミー、エンバイロンメントの3Eでトリレンマなんて云いますね。
最近聞かないのは何故でしょう?

「チーム-6%」はまたの議題にしましょうか。
真摯なご意見いつもありがとうございます。深く感謝いたします。

投稿: よしどみ | 2005/09/08 23:06:38

コメントを書く