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2006.07.22

どうしてそう呼ぶのか

あることに気付いた。
私は、自分のことを「業者」と言う。メーカーのことは「メーカー」と言う。
でも、設置する人、設置しようとしている人を”お客さん”とは言わない。
これは、「設置する人」とか「設置したい人」

そういえば私は、太陽電池のことを”商品”と云わない。
太陽電池は太陽電池。あえて言う場合は、「部品」と言っている。
気が付いたらそうだった。

最近になって、何故自分がこんなにめんどくさい、変な言い方をしてしまうかが少しわかった。

私はどうやら買う人と売る人と云った構図に違和感を感じているようだ。
太陽光発電を市場の言葉で語るのに飽き飽きしているのだ。
第一、私は太陽光発電をどうしても売りたいとは、思っていないようだ。
もちろん、欲しい人は買えばいいし、それがたまたま私の会社だったらとても嬉しかったりする。

でもそれは儲かるからじゃない。
そもそも、太陽光発電を販売していたって、儲からない。
いや、太陽電池単体を部品として定価販売したらうんと儲かったりするけど、それはありそうもない。

大抵ここにはソフトが付いている。
太陽光発電とは一体どういうものなのかと云った説明をしなくちゃならない、どのように設計し、どのように設置すればどのような発電が得られて、どのような効果が得られるかを設計を通じて考察しなくちゃならない。売れる前からこうである。そして、契約が決まったとしてもそれからやっと詳細設計と電気図面の準備と施工準備に移る。
つまり、人の労力を伴っている。

で、この労力だが、並大抵じゃない。時給にするとどうもコンビニよりは大分安い。
だから、好きでやっている。
身もフタも無い正直を言ってしまうと、私が今の会社をやっているのも、世の中には会社じゃないと出来ないことが多いから。それで仕方なく会社の格好をしている。
だから、私が説明に行くときは、吉富という個人がやって来ていると思って欲しい。

話を元に戻す。
私は”お客さん”とか”商品”などと言えない。
どうも座りが悪い。
私たちはお日様の下で働く。
生活のためだけに働くあの陰惨さが嫌なのかもしれないがそれだけじゃない。

買う人と売る人と云った構図。これは、ひどく対立した関係だ。
一方の太陽光発電は、そんなけち臭い、つまらないものじゃない。
太陽の光で電気が起きる。あら面白い。
設置すれば人が動く。ここで雇用が生まれるだろう。
その前に作る人が居る。作る人が居れば産業が豊かになるだろう。
空気を汚さない発電はこの世の中を変えるかもしれない。
ここには未来を自分の手で作る楽しさ、がある。

業者とかユーザーとかメーカーとか電力会社とかなどと、言葉で利害関係者の区別をするからその損得ばかりが際立ってしまう。
うっかりすると、ありもしない腹の内を探り合ってしまう。
この世界は勝ち負けのわだかまりに閉じこもり易い。

と言うのも、これでは、何かあった時に、うまくいかないと思うからだ。
長寿命と言われる太陽光発電だが、長持ちなのは実は太陽電池のこと。
架台やパワーコンディショナは時に修理や交換の必要が出てくる。
いやそれ以前に、操作ミスによって稼動していないとか、電圧問題とか何かにひっかかることがある。ひどいところでは、これが度々起こる。
しかもこの対応がひどく難しい。
とてもじゃないが、ゼニカネだけでは頑張れないシーンが少なくない。
こうした時に、”ワシは客だ”と言う尊大な人にどうして心を込めて働くことが出来よう。業者は、この厄介な主人からゼニを引き出す方法ばかりを考えるようになる。
これは商売によくある構図だが、この枠組みだと、長期にわたって運用する太陽光発電システムでは、互いがひどくくたびれてしまうのだ。

そこで次のように考えた。
誤って勧めてしまった低品質品は、自分のポケットマネーから交換費を出そう。
請われて譲った低品質品は、いちいちお金を出してもらおう。
積算にひどくケチをつけて理由無く値切る人には、いちいちお金を出してもらおう。
設計と積算を理解してくれる人には出来る限り面倒を見てあげよう。
信用して預けてくれる人とは、○○さんと○○さんの関係が続く。
儲けさせてやるのだ、くらいに思う人とは仕事をしない。
何かの間違いでそういう人とお付き合いすることになってしまった場合は、全部が全部お金の関係。
かくしてとても簡単になった。

立場を超え、人と人とが感謝の気持ちでつながりあえないだろうか?
いつか、そんな大仰なことを普通に考えるようになった。
太陽光発電が私にそう思わせるようになったのだと思う。

考えて答えが出ることでは無さそうなので気付いたことをメモ的に記してみた。

7月 22, 2006 私の話 |

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コメント

哲学的な雰囲気ですね~(嫌いじゃないです)。
私は主に電気のメンテナンスをやってきすから(異常なし時に料金を頂く場合は特に)、物を売ってないのでそのお気持ちよく解ります、顧客満足度などという曖昧な言葉では説明できないようなことが実際にはよくあります。

私が疑問に思うのは、お金が本当に等価交換なのか?、血と汗の結晶のような10万円と、詐欺まがいの10万円あるいは、株や博打で儲けた10万円、年金の10万円、これらが本当に同じ価値なのか?、私は価値が違うと思うし、そうあってほしい、実社会でも私やよしどみさんのような考え方が広がれば社会が豊かになると思うが、最近の格差社会への流れもありそう簡単にいかないことは承知の上で、希望は捨てずに気長に自身の信念を貫くしかない。

投稿: aosams | 2006/08/05 15:59:16

あぶくゼニも市場では同じように通用しますしね。お金になった10万円は、その後は全部一緒くた。それにしても仕事が買い叩かれるのは良い世の中じゃないですね。考え出すと疲れてきます。

市場原理は不等価交換のようです。
商品パッケージゴミなどは、行政が処分費用を負担していますしね。

消費者教育なんて言葉がありますが、あれは防衛手段を教えるものが多いように感じます。それよりも適切な出費の仕方、出費に値するモノ・コトの中身を共に考える動きを生み出したいものです。
すると、自分もその出費に見合う価値ある仕事をしなければ。。。とさらに気が引き締まります。この間あぶくゼニと比べるといらだつので、横目ですら見ないようにしている自分に気付いたりもします(笑)
ナンノコッチャ。

投稿: よしどみ | 2006/08/05 21:36:57

最近、私の仕事?って何なのかって思っちゃったりもしますよね。必要なのか不要なのか?

労力を考えたら本当に時給は安いですよ。それでもって中間搾取と思われて・・・・

ゼニカネだったら自分で販売した方がずっと良いですよ。

必要悪なのか?不要なのか?だけど借金もあるしな~どうなんでしょうね。

投稿: なっちゃん | 2006/09/29 0:44:18

仲介サイトはもう必要ないでしょう。
借金返済のために方向が違ってきてるから。

投稿: 屋根屋 | 2007/06/16 12:38:05

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