« 2010年3月 | トップページ | 2010年6月 »

2010.04.28

校正について

作ったOPAMP回路網のゲインやオフセットがどうしても合わない。リニアリティが出ない。おかしいおかしいと思って単体で実験しても合わない。もちろん、その前に計算と実測結果が合わない。何か僕の知らない秘伝があって、僕がそれに合わない設計をしているからおかしいのだと信じ込んでいたら、なんと基準電流源器の校正値がズレていた。これだけで一週間も無駄に使ってしまった。作ったものは、合っていたのだ。DMMと違って、発生側は狂い易い。よくよく注意しなければならない。

でもそれに気づいたのも34401Aと3458Aのおかげ。
持っているものをちゃんと使わないとならないなぁ。

校正というのはきっと、大工がかんなを砥ぎ、ノコの目立てをしてから現場に向かうのと同じようなものだと思う。日々あまりにも広範囲なことをしているのでつい疎かになってしまった校正作業をそんなものだと感じた。

・・・太陽光の簡単な仕事ですら、DMMは少なくとも6桁半は要ると思う。
そうでないと、おかしいものをおかしいと気づくのが遅れる。
気づくのが遅れると何百万も損をだすのはもちろん、人にも迷惑をかける。

結局は机の上で計算をしても、実験をしなければならないわけだし、フィールドでテストしないと、抜け落ちる。
人間の目玉なんてその程度のものだ。でもその前に計測器で確かめられたら、全然スピードが違う。

4月 28, 2010 私の話 | | コメント (0) | トラックバック (0)

プロトタイプングと頻用デバイスについて

大量の電子デバイスがうちにはある。
なんとなくこの10年くらいでよく使うものは揃ってしまった。
しかし、炭素皮膜抵抗は使わない。たくさんの収納箱だけが鎮座している。
よく考えると、これは僕の仕事には向かない。ウチはプロトタイピングが多い。プロトタイピングの段階でこういうのを使っていると素子がイマイチなのか、回路設計がおかしいのか、切り分けが大変になってしまう。
それで眠ったままになっているのだと思う。
だけどもちろん、決まってしまった回路とか、そういうのにはいいと思う。
ユニバーサル基板も片面のは使わなくなってしまった。
修正が多いからだ。また、たった一つの基板ですら出荷後の半田緩みが怖いからだ。
どっちも、そろそろお片付けをしようと思う。

4月 28, 2010 私の話 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.04.24

日本のPVと海外のPVと

某国の、何回か会食をしたあの会社社長が100億円太陽電池工場への投資。
とにかく早い。海外は早い。ことに知り合いだと心臓が破裂しそうです。
この世界、そんなに良いものかな?

日本のことは最近はあまり知りません。
●マスコミを通じて欠陥工事が知られるようになった。
●欠陥対策に国が資格付与によって関与しようとしていること。
そんな印象です。

あのぉ、このことに関してですが、大抵の職人は善良だと思います。
悪いヤツが居るのも確かですけど、職人は技術が無いだけです。
だから簡単に考えて手の動きにまかせて仕事をしちゃう。・・・だからあとでコケる。
この失敗の構造をよく考えるべきだと思うのです。
資格制度だけ発足させても対策にならないでしょう。
免許制度を使って天下りがピンハネし職人を締め付けるのがオチでしょう。
太陽光発電には本来電気工事士しか要らない。(←これすら要らないくらいだと私は考える。その人物が間違いなく納入できれば良いわけであって、納入品質に限って言えば電気の色々を知る必要はない。彼らが担当する作業だけとってみれば内線や外線なんかよりずっと簡単。そもそも逆潮流ありの世界では、電気工事士免状は技術的には、全然役に立たない)

だけど、資格を要求しだすとキリがない。一生かかっても取り切れません。厚生労働省系まで入れると100どころではありません。それほどまでに役人扶養向けのマイスター制度とそれを喜ぶ自治体が多すぎる。

それにそもそも、技術と技能は区別しないとなりません。
モノを作り上げるには両方が要ります。
工事は技能の世界です。図面があり、作業者と監督が誠実であればまず間違いない。
(だって職人のほうが設計者より納めがうまいんだもん。だけど根本的なことはヘタクソ。この点に要注目)
(納めの意味が分からない場合は、建築業界で2~3年も修行すればよくわかる。)

技術とは、PVの場合では、ミニマムでは構造計算と電気設計はできないとならないでしょう。これらが出来なければ現場で何をやるのかが決まりません。配列図や穴位置を設計だなんて言う人もありますけど、その前のこと・・・雨漏りメカニズムなんていう感覚的理解が簡単なものは当然として、逆潮流の計算、構造設計といった仕事をする上での科学技術的基礎をちゃんとしておかないと。

日本の場合、そもそも技術の話があまりなされていない気がします。
これを何とかすればだいぶよくなるはず。
材料があっていきなり工事に入るから問題が起きるのです。
これを建物に例えると現状は、生木が積まれた状態で、さぁ、柱を建てろ、という感じです。
これでは、職人は困ってしまうでしょう。(こんな比喩ではわかりにくいか?高周波乾燥や製材や仕口設計の様子ってあまり知られていないかも??)

で、建築物の品質の問題について国というか特に国交省系の昔の役人は既に考えぬいていて、建築基準法で設計の重さを明確にしています。さらにそのスタンスまで明確にしています。
そのスタンスとは、
日本は性能規定
アジアの諸外国は仕様規定

こうなっています。この差が実は面白い。

どういうことかというと、
●日本の場合
壊れなければいい、性能を発揮すればいい。
こういう考え方です。・・・相当な勉強家であれば誰でも出来る。
法体系を見ると、日本人はとても頭が良いことになっている。
少なくとも僕にはそう見える。

●他のアジア諸国
一方、韓国や中国、台湾なんかはメッキは何ミクロンでどうのこうの。。。(原文読みまくりましたよ・・・英語と中国語はなんとかわかるけどハングルは今も全然わからん)とかくバカバカしいほど細かいです。これだけお世話してくれていれば、猫でも太陽光設置出来ます。・・・しかし非合理です。どんな場合でもアンカーをステンレスにしなければならないとか。本当は、塩とか風といった環境問題がなくて強度と設計寿命が明らかであり、公衆災害への配慮がなされていればどんな設計でも良いでしょう?アンカーひとつとってみれば、設計(風工学計算で転倒モーメント計算に余裕があり、地震せん断力に余裕があり、腐食に対して余裕があり。。。)さえ担保されればいいではありませんか。
だけどどうせ工事屋は、風圧力どころか地震せん断力の計算なんかはもちろん、電気設計すらしないだろうと。
おおよく当たっている。でもこれって昔戻りだけどすごいんです。・・・他のアジア諸国の官僚たちは現実を実によく分かっていらっしゃいます。

日本の制度設計は人間を信じすぎ。実際、日本の太陽光発電はフィーリング納入ですからねぇ。発電量どころか、そのシステムが危険なのかそうでないのか仕様書で証明されていなくても補助金がもらえちゃうし。さらに役人たちは、もし問題が出たら弱者を虐めながら身を守るし。既に太陽電池メーカーが今そうだし。

これら日本と他アジア諸国との違いは、性善説と性悪説としてまとめることが出来ると思います。
日本法は、人間を信じています。
他アジアは人間を信じていません。ほっておけば人間は、国民は悪いことばかりすると考えている。

このように日本と他の国では面白い違いがあります。
こういったことがどうやらPV関係者の間でもあまり知られていないようなので書いてみました。

そうして今の内外のギャップ、現状がある。
我々日本のPV業界人が学ぶべきことがたくさんありますよ。
マスコミは太陽光発電の施工不良を取り上げて盛り上がっていますが、工事屋を責める前にもう少し勉強したら??本当は、工事以前の問題(設計、営業段階での打ち合わせ)が多いんだよ。マスコミは、ひどいことに、製品に問題があること場合は全然言及しやしない。

考えてもご覧。
●技能ばかりで技術の無い工事人は言われた通り、間違った仕事をする。
間違いに気付きもしない。

しかしさらにここまで考えて欲しい。
もしその職人が生活に困っていたら、その設計や計画が道理にかなわないものだとしても
●その人物がどんなに親切であっても、どんなに技術(技能ではない)を持っていても、
●さらにその人物がその工事の設計がおかしいと分かっていても
飯を食ってゆくためだけに、言われた通り間違った工事をする。意図的にするのだ。儲けるとかそういうのではない。今日の一杯の飯のためだけだ。・・・景気が悪い今だからこそ、こういった背景事情をきちんと考えなければならない。

免許制度を発効するのは簡単。
だけど、貧乏人をどうするのか?試験に行く費用を負担するだけで飯を我慢し、風呂を我慢するほどになる人々が僕の周りにはたくさんいる。制度を語る人たちはそういった現実をしらないのか?そういう人が身近に居ないのか?
上からの視線で制度だけを考える人々の常識を疑う。
発想を変えて欲しい。消費者保護、結構。今のブームですらある。だけどそれも強い者と弱い者の関係があり、消費者が弱いものである限り正しい。これが前提だ。今まで製品というのは大企業≒強い者が供給するのが前提だった。

ところで太陽光を設置するほどの人には家がある。下手をすれば自家用車まで持っている。それほどまでに裕福なのが現実。もちろん、この人達もまた国民として保護されないとならない。
しかし食えない人を追い出してまで規制するのはどうか?しかも彼らは不具合太陽光発電の原因ではないのである。事故やトラブルの原因はもっと裕福な営業や設計者などホワイトカラーにある。少なくとも彼らには管理責任があるのだ。これを作業者のせいにして、彼らの負担にして良いのか?
貧乏人を叩くな。遊んでばかりいるブローカや、ほんの少し余裕がある設計者を叩け。根っこはここだ。
弱いものは、声が出ないのだ。これを忘れてはいけない。

本当に資格制度を発足させるのか?税金を払うことすらままならず、日々に負われている人たちをますます追い込むような制度設計になりはしないか?
太陽光の工事はとても簡単だ。だからこれまで弱者を支える力があった。
マスコミや政府はしかし、既存太陽光に問題点があるという。工事が悪いと言う。
しかしその原因はこれらの弱者にあるのではない。一度で良いから現場に来て欲しい。
問題は、工事以前・・・営業であり、設計者であり、業界構造のほうだ。
荷物を運び、ネジを締め・・・実際の太陽光職人は本当に簡単なことしかしていない。
この人達の居場所をなくしてしまって良いのか?

とかく制度設計というものは、人の状況やココロを考えないと意味がないのだ。それどころか、人間の自然なココロの動きに配慮せずに作る制度は悪事ですらある。そこのエライ人、良く考えてちょうだい!!

4月 24, 2010 私の話 | | コメント (1) | トラックバック (0)